大会が中止になって悔しいのは選手だけじゃない。と思う。
こんにちは!
先週までかなりいい調子で練習が出来ていたのですが、夏の疲れか先週からの1週間はあまり気持ちよく走ることが出来ませんでした。
私は速くなりたい気持ちはあるのですが、大前提として気持ちよく走りたいのでそれが出来ない時はすぐに休んでしまいます。
先週は完全休養4回(笑)
今週はワクチンを打って熱が出たのでまだ月曜しか走っていないのですが、さすがに走りたくなってきたので、また頑張ろうと思います。
三重国体の中止について
さてさて、今週は三重国体が正式に中止になってしまいました。
これを目標に頑張っていた選手は本当に残念だと思います。
ただ、都市から地方へ感染が移っていくのが明白な現状の中で、地方で行われる国体のために行われる移動などを生むリスクは普通の地元の試合とは違う点です。
皮肉なことですが、国体やってよかっただろ!と言えるくらいの感染状況に落ち着くことを願います。
新型コロナの感染が広がり始めてからこれまで多くの試合が中止になってきましたが、その度に様々な意見が上がっています。
この件に関しては、オリンピック前のように「オリンピック中止論」が大きく取り上げられれば国民の論調も中止に傾くし、海外の主要なスポーツの試合が満員で行われれば「日本はなぜそんなに慎重なのか」という論調にも変わります。
この判断は本当に難しく、どこの点を見てその政策が成功だったか失敗だったかといえるのかは異なってきます。
Twitterやニュースのコメント欄を見ると、しばしば多くの試合が中止になっていく現状を痛烈な言葉で非難するものもあります。
もちろん、開催を訴える声も必要でしょう。
しかし、主催者や運営に関わる方々を非難するような論調は見ていて酷だなと感じることもあります。
大会を中止にすることで悔しい思いをするのは選手だけではなく、決定者や運営側も一緒だということを忘れてはいけないと思います。
2024年は私が今住んでいる佐賀県で国スポ(この年から国体から国スポへ名称が変更)が開催されますが、開催県やそれに関わる企業はすでに動き始めています。
開催者、関係者は選手よりももっと以前からその試合に向けて準備を始めて、とても多くの時間をかけています。
それを中止にするのは、本当に苦渋の決断だということを忘れてはいけないと思います。
しかも、仮に実施をすれば今度は感染者が出ないかという不安と戦うことになります。
私たちWithleteもコロナ禍で、バーチャレ福岡や春の大運動会などのイベントを行ってきましたが、イベント終了後に感染者が出たという報告が来ないかというのが相当な不安でした。
大会を中止にするということを、逃げのように書いたり、日本は海外に比べてビビりすぎと非難するだけの意見は無責任かなとも思います。
中止後の負担は、これまで準備をしてきた開催決定判断側やその関係企業にのしかかってきます。
開催という判断を取ろうが、中止という判断を取ろうが、開催側にとっては苦しい状況が待っているというのは一つ忘れてはいけないと思います。
それを踏まえた上で、開催の是非についての意見を述べることは大切だし、必要なことではないでしょうか。
Withleteでも大きなイベントはしばらく予定していませんが、T.T会やjog会のような小規模な練習会を感染状況を見ながら行えればと思っています!
それでは、今日も読んでいただきありがとうございました。
来週はまなみんのnoteお楽しみに!