『練習で出来ないことは試合で出来ない説』は正しいのか②~「試合に弱い」ことは治せる!~
こんばんは!
昨日は、僕の中学1年生の中体連で起きたアクシデントについて書きました。
あの時、僕のメンタルが大崩れしなかったのは、レースに対する「自信」があったからだと言いました。
この「自信」は練習でしか身に付けることは出来ません。
試合では、綺麗なペースで気持ちよく終わることはほとんどないでしょう。
各々の欲望が入り交じるトラックレースでは、相手とのぶつかり合いはあって当然です。
そんな中で、自分の力を発揮するためには、練習の段階でその目標を、限りなく現実的な目標にしておかなければなりません。
「練習で出来ないことは試合では出来ない」という言葉をよく聞きますよね。
長距離においては、それは正しくもあり、間違ってもいます。
「記録」という点だけを見れば、練習では出せないタイムが出せることはたくさんあります。なぜなら、試合には調整をして臨むので、いつもの練習より疲労が少ないからです。この点では、「練習で出来なくても試合で出来る」ことはあるでしょう。
しかし、勘違いしてはいけないのは、試合当日だけ、根本的な走力が上がったわけではないということです。
普段の練習では、疲れが残っているため、自分の能力の60%しか出せていないところを、試合では調整のおかげで80%以上のものが出せているということです。
よって、「試合への調整を考慮した以上の結果」を自分に期待している人には、「練習で出来ている以上のことは試合では出来ない」と伝えてあげる方がいいかもしれません。
自分自身、練習の記録ばかりに固執し、失敗した経験は山のようにあります。
また、ペースだけを試合に合わせようとして、オーバーワークになっている選手をこれまで何度も見てきました。
よく、「試合になると力を発揮できない」といわれる子がいます。
それは、「本番に弱い」という表現が正しいのでしょうか。
僕は、「練習に強いように見えるだけ」だと捉えています。
本番に弱いとされる子は、試合から最も遠い時期に一番のピークが来ていませんか?
そして、練習過程で、絶好調の時のレースペース、あるいは「目標の」レースペースに固執し過ぎて、無茶な練習をギリギリでこなしている印象があります。
あるいは、つなぎのジョグはキロ4より速くなければならないルールに縛られ過ぎて、本来の目的の一つである疲労抜きが上手く出来ないまま、次のポイント練習を心身ともにギリギリの状態でこなしていませんか。
一見、練習でよく走れているので、指導者からすれば「これは試合で期待できるぞ!」と思っていても、試合ではボロボロ…という選手は多いでしょう。
これは、本人が一番よく分かっています。レース当日のアップの時点で脚がすごく重たく、試合へのやる気が湧いてこない状態で臨んでいるはずです。
だから、僕は練習結果と余裕度はセットで考えるべきだといつも中学生に言っています。
たとえ、TT1000mを3'00で走れたとしても、1500mを4'30で走れる根拠にはなりません。最後の100mをもがきながらゴールした3'00であれば、試合では恐らく再現不可能でしょう。しかし、疲労がたまっている状態で、7~8割程度で3'00だった人なら、可能性はあると思います。
今まで、同じような失敗を繰り返していて出口が見つけ出せていない子たちは、一度「騙された」と思って、毎練習を少し余裕のあるペースで行ってみてください。
8割程度の、「明日も良いジョグが出来そうだ」と思える練習を継続してみてください。
「練習のタイムでしか、試合では走れない」という固定観念は捨ててほしいなと思います。それよりも、練習でいつも「試合での動き」を再現しておく方が、たとえペースが1kmあたり5秒遅くても、試合に応用できます。
「このくらいの練習が出来ていれば、レースではこれくらい出せる」という予想が一致する、あるいは実際の結果の方が良かったという経験を一度してほしいです。
これは、フルマラソンでも実感しました。
明日は、僕のフルマラソンにおける成功例と失敗例を挙げながら、このお話を締めくくる予定です。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、ばいばーい